一寸おたづねしたいのですが
2007年2月6日今迄若干気になっていたこと。
折角いろんなひとと繋がってるし、たづねてみようか、と。
ええと。
みなさま、声、聴こえることありません?
(あ、狂ったとか思われたらどうしよ。今更狂ってなんかないよー。)
べつに怪奇現象とか、幽霊だとか、そう云うんじゃあなくて
只、聴こえて来るのだけど聴こえていない、と云うような。
僕、偶に、例えば歩いている時、料理でなにか煮込んでいる時
こう、あたまの中で声が聴こえだすことがあったりなんだり。
正確には聴いている、って云わないのかも知れないけど。
感覚的に近いのが、漫画の科白。
アレってなんか、読むんじゃなくて、否、読んでるんだけど、それがそのまま画像(文字も一種の画像な気がする。記号、か)としてじゃあなくて、幾つかの段階を経て、最終的に音として意味を認識してる、つまりそんな感じ。
わかりにくーい。
そうだなあ、うーん、漫画がアニメ化された時に、声優さんがイメージと違うってのがあるじゃあないですか。
そのイメージって音じゃあないですか。
その音を創り出してるのは視覚から得た情報じゃあないですか。
つまり、そんな、感じ。(ああそうさ、お手上げさ)
その視覚段階すっ飛ばして、あたまの中で声が聴こえる。
大抵あたまを使わない作業をしていて、
更に、意識的にはあたまを使っていない時なのだけれど。
昨日はこんな感じ。
◎ ◎ ◎
ねえ、君。解って居るだろう?平等なんてものは所詮まやかしさ。
人間は平等、否、識って居るよ。好く云う耳障りの好い言葉だね。嗚呼其れは確かに平等だ。人間として人間の胎内から生まれ出でた瞬間から、私達人間は平等だ。然しね、此の場合に於ける平等なんて飽く迄「人間である」と云う意味での平等でしか無い。人間から人間によって人間として生誕し死んでゆく、唯其れだけの意味さ。
然しね、矢張り人間には能力の差と云うものが歴然と存在して居る。視覚聴覚味覚、否、五感だけでは無い、空間把握、認知、理解、すべて是等は個人の能力に依るもので、個体をふたつ並べた時、其処には必ず優劣が存在する。(優れて居るから、劣って居るから如何だ、と云うことは又別の問題だがね)
そうして、此処でひとつ問題が在る。鍛錬、と云うものの位置づけだ。
(略)
結論として何が言いたいかと云うとね、君は部屋を片付けるべきだ、と云うことだよ。其れが例え私が散らかした結果であってもね。
◎ ◎ ◎
そこまで正確には覚えてないけど(だから多分一言一句は同じじゃあないな。でも結構堅苦しい持って回った喋り方)多分こんなんだった筈。
なんか可能性と持続と将来性とかなんとかかんとか。結論が飛躍しすぎ。てゆっかその為にそんなこむづかしいこと持ち出すのかよ、と。
…あ、でもこの思考形態と論理の展開の仕方、僕とおんなじだな。
てことは単純に自分の思考が跳ね返ってるだけなのかなあ。
それとも思考の残滓、みたいなものなのかなあ。
ということで、あれです。
A:ないよー。
B:あるよー。
と、どちらかに一票。入れて呉れたらうれしい、なあ。
皆様の清き一票を。(違うってば
折角いろんなひとと繋がってるし、たづねてみようか、と。
ええと。
みなさま、声、聴こえることありません?
(あ、狂ったとか思われたらどうしよ。今更狂ってなんかないよー。)
べつに怪奇現象とか、幽霊だとか、そう云うんじゃあなくて
只、聴こえて来るのだけど聴こえていない、と云うような。
僕、偶に、例えば歩いている時、料理でなにか煮込んでいる時
こう、あたまの中で声が聴こえだすことがあったりなんだり。
正確には聴いている、って云わないのかも知れないけど。
感覚的に近いのが、漫画の科白。
アレってなんか、読むんじゃなくて、否、読んでるんだけど、それがそのまま画像(文字も一種の画像な気がする。記号、か)としてじゃあなくて、幾つかの段階を経て、最終的に音として意味を認識してる、つまりそんな感じ。
わかりにくーい。
そうだなあ、うーん、漫画がアニメ化された時に、声優さんがイメージと違うってのがあるじゃあないですか。
そのイメージって音じゃあないですか。
その音を創り出してるのは視覚から得た情報じゃあないですか。
つまり、そんな、感じ。(ああそうさ、お手上げさ)
その視覚段階すっ飛ばして、あたまの中で声が聴こえる。
大抵あたまを使わない作業をしていて、
更に、意識的にはあたまを使っていない時なのだけれど。
昨日はこんな感じ。
◎ ◎ ◎
ねえ、君。解って居るだろう?平等なんてものは所詮まやかしさ。
人間は平等、否、識って居るよ。好く云う耳障りの好い言葉だね。嗚呼其れは確かに平等だ。人間として人間の胎内から生まれ出でた瞬間から、私達人間は平等だ。然しね、此の場合に於ける平等なんて飽く迄「人間である」と云う意味での平等でしか無い。人間から人間によって人間として生誕し死んでゆく、唯其れだけの意味さ。
然しね、矢張り人間には能力の差と云うものが歴然と存在して居る。視覚聴覚味覚、否、五感だけでは無い、空間把握、認知、理解、すべて是等は個人の能力に依るもので、個体をふたつ並べた時、其処には必ず優劣が存在する。(優れて居るから、劣って居るから如何だ、と云うことは又別の問題だがね)
そうして、此処でひとつ問題が在る。鍛錬、と云うものの位置づけだ。
(略)
結論として何が言いたいかと云うとね、君は部屋を片付けるべきだ、と云うことだよ。其れが例え私が散らかした結果であってもね。
◎ ◎ ◎
そこまで正確には覚えてないけど(だから多分一言一句は同じじゃあないな。でも結構堅苦しい持って回った喋り方)多分こんなんだった筈。
なんか可能性と持続と将来性とかなんとかかんとか。結論が飛躍しすぎ。てゆっかその為にそんなこむづかしいこと持ち出すのかよ、と。
…あ、でもこの思考形態と論理の展開の仕方、僕とおんなじだな。
てことは単純に自分の思考が跳ね返ってるだけなのかなあ。
それとも思考の残滓、みたいなものなのかなあ。
ということで、あれです。
A:ないよー。
B:あるよー。
と、どちらかに一票。入れて呉れたらうれしい、なあ。
皆様の清き一票を。(違うってば
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